2015/06/19

【書評】『メンバーの才能を開花させる技法』

Wiseman, Liz and Greg McKeon (2010), Multipliers, HarperCollins
関美和・訳、メンバーの才能を開花させる技法、2015、海と月社

リーダーシップは、難しい。これだけ多くの図書やセミナーが氾濫していながら一向に減る傾向が見られないということは、(評者の教えるビジネススクールを始め)これらの処方の効果がまるで上がっていない、すなわち、リーダーシップに関する図書やセミナーや学校は限りなく無意味だという証拠に他ならない。このような状況を反映して『The End of Leadership*』なんて本迄ある。

* Kellerman, B. (2012) The End of Leadership. HarperBusiness
邦訳は、『ハーバード大学特別講義 リーダーシップが滅ぶ時代』だが、内容的には『リーダーシップ教育の終焉』が適切。

本書の原著は5年前に刊行され米国アマゾンの書評でも非常に好評だった、リーダーシップの良質なハウツー本だが、この度邦訳された。ポイントは、「多くのリーダーにとって、才能に溢れたメンバーを自由に集めることができるわけでなく、実際には、現有のメンバーから如何に多くの才知と努力を引き出して組織のために貢献して貰えるか、が成否の分かれ目になる」という認識である。著者らの調査によれば、人々は、Multiplier 型リーダーの下では、Diminisher 型リーダーの下に居るときに比べて、自ら持つ能力の2倍以上を発揮しているという。だとすると、増幅型リーダーは2倍の部下を持っているのと同じ事になるではないか! 

そこで、できるだけ才能のある人々を見つけて自分の組織に引きつけ、個々人の才能に応じて各人の限界まで能力を活用して貰うようにする。課題は設定だけして、(例え自分が解を知っていても)自分は引き下がり、解決法はメンバーに考えさせる。必要に応じてサポートはするものの、課題のオーナーシップはメンバーに渡して、責任も持たせる、等々、Multiplier 型リーダーになるには下準備と自制心が結構大変である。


本書は、実は、組織のヴィジョンやミッションは既にリーダーが自身で考え抜いていて、それを実行する戦略やその実施に組織メンバーの能力をフルに活用しようとする段階のノウハウ集なのである(その意味では人心操作に近づいている)。だから、本書の教えが実際に効果を発揮するかどうかは、ビジョンや目的についての熟考やメンバー各人の能力の棚卸など、リーダーが事前にどれだけ下準備をしておくかに掛かっている。これは、良い学校教師がする念入りな授業の準備と同様で、つまるところ、リーダーシップとは(もともと各人が持っている才能を開花させるという意味での)教育でもあるのだ。

2015/06/07

Apple at its Zenith?

Apple is a really great firm.  I have recently hit an article to show how foresightful the firm was.  In this article, we can see what Apple was conceiving in 80s: laptops, tablets, and even a wrist telephone!

http://www.theverge.com/2014/5/28/5757414/apple-prototype-tablets-phones-laptops-from-the-80s-photos

As a revolutionarily innovative and great company, the firm's market cap is over $740B at the time of writing this.

http://finance.yahoo.com/q?s=AAPL

There are pundits who predict beyond $750B, such as this.

http://www.forbes.com/sites/laurengensler/2015/02/19/5-reasons-why-apples-750-billion-market-cap-could-get-even-bigger/

But I cannot help feeling unease.

To me, Apple's strength as a business has been its relentless focus.  Despite its size, the firm's product line has been extremely narrow (just, a few models of gadgets and an ecosystem of software and contents).  They have been selling their goods/services without regional adjustments (except for currency and tax-related adjustment) as marketing or strategic gurus would preach.  This focus has had a huge impact on their learning curve, the economies of scale, operational simplicity (from manufacturing, logistics, shops, services to call centres) and the brand sharpness.

Now they seem to be diversifying into other (albeit related) products, such as watch and car.  This may well be the reflection of mounting pressure from the capital market for growth.

But I cannot help feeling that Apple is to throw away its core strength, the focus.

If you are to grow further without losing focus, the only logical way seems to split the firm into two (or more) focused firms.  If you try to keep all new products and services lines under one umbrella, you would become like, you know what, a Japanese electric/electronic mediocre or Korean chaebol.

I have been a Mac user since 1987 with a Macintosh Plus.  I was literally shocked and thrilled with its futuristic ideas, such as its file handling and network capabilities, which were (and still are) by far more advanced than its competitors in the market.  I have been a great fan of Apple since then.

So, I cannot help feeling very sad …

2015/04/05

規模と複雑性の罠

巨大なグロウバル銀行の収益性が低下して、悲惨な状態になっているという(The Economist、2015年3月7日号)。経営の複雑性、地元銀行からの競争圧力、規制強化の3つの原因が挙げられている。

第1の原因は、複雑性であるが、巨大で複雑な組織というものはそのマネジメントにとてもコスト(経営者のアテンションと時間とエネルギー)が掛かるのである。企業などでは余り議論されていないようだが、しばしば、この複雑性に帰因する問題は人智の限界を超えることになりかねず、巨大化による規模の経済を打ち消してしまう。

ソニーの不振の原因の1つもここにあると考えられる。家電と半導体とデヴァイスとエンターテインメントとネットワークと金融を同じ屋根の下に入れるのは、スーパーマンのような経営者をしてもとても困難であろう。古くは経営学者の Penrose も、マネジメントの複雑さが企業成長の制約になることを指摘している。

逆にアップルの好調の原因の1つは、同社の製品ラインおよび事業領域が極めて限られていることにあると考えられる(しかし、今後もこの優位性が維持されるかどうかは、経営者次第。既に、遠くに暗雲が見える)。マーケティングコンサルタントの Reis もフォウカスの重要性を繰り返し指摘しているし、筆者の提唱する組織IQにおいても「組織フォウカス」は5つの原則の内の1つとなっている。

製品ラインや事業分野がフォウカスされていることにより、意思決定の複雑さが減少され、意思決定に関わる情報処理の負荷が小さくなることの利益は計り知れない。企業の多角化や国際化において必ずしも陽表的に評価・議論されていない側面であり、注意が肝要である。

組織マネジメントにおいては(も?)、シンプルイズベストである。

2015/03/29

組織の終わり方(の覚悟)

米国の銀行規制当局(Federal Deposit Insurance Corporation)は、影響力の大きな銀行に対して、一定の条件を満たさなくなったときにどのように銀行を清算するのか、そのやり方を示すように求めている。

http://www.economist.com/news/finance-and-economics/21647312-regulators-desire-make-banks-easy-kill-determining-how-they

つまり「組織の終わり方を自分で考えなさい」ということである。巨大銀行の場合には、これはシステミックリスクを避けるあるいは軽減する観点から重要なのであるが、その他の組織にとってみても、これは素晴らしいことではないかと思う。

特に日本の組織は、永遠に続くこと自体があたかも良いことであるかのごとくに思い込まされている節がある。Barnard を引用するまでもなく、そもそも組織とは目的があって作られるべきものであるので、その目的を達成したならば解散して、それまで使用していた資産やお金や人材などを他の目的のために解放ことするが、社会全体から見れば望ましい姿である。であるから、組織の目的は、それが達成されたのかどうかが明確にわかるような形に定義すべきであり、「世の中を良くする」というような、達成できたかどうか分からないようなぼんやりした定義はよろしくない。世の中には、ただ存在することだけが自己目的化して、社会的に積極的な意義を果たしていないと思われるゾンビ組織があまりにも多すぎる。目的を達成したらば、直ちに組織は解散または清算すべきである。たとえ同窓会のように継続して存続することが前提の組織であっても、例えば「会員の満足度」などを定量的に測定して、目的が十分に達成されていない時には、解散して出直すなり、役員を入れ換えるなりすべきであろう。

組織を作るときには、「何が達成されたならば解散するのか」、そして「その時にどのように清算するか」、サンセット条項のようなことを定款に含めることが望ましいといえよう。財団や社団の場合には、解散時の財産の処分の仕方を定款で定めるようになっているが、これでは「どういう時に解散するのか」は決められていない。 企業は、その目的を明確に定義し、目的達成時には解散するよう定款に定め、その時の清算法も規定しておくことが社会の効率化のためには望ましいと言えよう。

2015/03/27

アナリティックスと保険の将来

ビックデータとアナリティックスの普及により保険対象のリスクをより正確に見積もることができるようになると保険産業はどうなるであろうか?

そもそも保険とは、同じリスクカテゴリの人々をまとめて確率的に起こる事象に対して集団的に保証するシステムである。以前は、保険対象のリスク見積が難しかったので、どんぶりセグメントで十把一絡げにしてきたが、リスクを細かくセグメンテーションができるようになってみたら、実は大きいリスクを抱えた保険対象と小さいリスクしか持ってない保険対象が同じプールに入っていたことがわかったとする。小さいリスクの保険対象に、大きいリスクの保険対象と同じ保険料を支払うことは合理的ではないことは明らかである。そこで小さいリスクの保険対象を持っている人たちはそのセグメントだけで安い保険料率を決めたいと望むのは当然である。しかし、セグメントの細分化を可能とする情報に基づいて合理的に行動すると、社会全体としてはどのようなことが起きるだろうか?

疾病保険では、遺伝子などの情報により一人ひとりのリスクファクターが明らかになり、同じリスクのグループごとに異なった保険料率を適用することになろう。こうなると、小さいリスクの人たちのセグメントでは正常な保険が成立しうるが、大きいリスクをもつ人たちのセグメントでは保険料率が高くなりすぎて、保険に入らない(入れない)人も出てくるであろう。

自動車保険では、運転者の性格や事故の履歴、飲酒癖などは非常に重要なリスクファクターとなろう。

http://www.economist.com/news/finance-and-economics/21646260-data-and-technology-are-starting-up-end-insurance-business-risk-and-reward
には、運転習慣(どの位急ブレイキを踏むか、など)を測定するデヴァイスをクルマに設置して、これに応じて保険料率を変動させる話が出てくる。

安全運転をする人のセグメントと危険な運転をする人のセグメントでは、当然、保険料率は異なってくるであろう。安全運転をする人のセグメントから中位のリスクの人のセグメントでは正常な保険が成立しうるが、大きな事故リスクを持ってる人のセグメントでは、おそらく保険料率が高くなりすぎて、保険は成立しなくなると思われる。つまり、このセグメントでは保険料率が高いので多くの人は保険に入らず、その結果非常に危険な人たちが任意保険なし(自賠責のみ)で車を運転し廻ることになる。こうなると、非常に危険な運転をする人のセグメントについては法律で運転を禁止するか、普通の人々は災害保険に入るしか手の打ちようがなくなるかもしれない。

生命保険については、健康に関する遺伝情報とそれからその人の危険な行動するかどうかの情報からリスクファクターを割り出すことになる。この場合も、リスクファクターが小さいセグメントでは正常の保険が成り立つが、リスクの大きい人々のセグメントでは保険は成り立たなくなる。

いずれの場合においても、リスクの見積もりが正確で細くなるにつれ、そもそもの保険の概念が変わらざるを得ない。従来からの、ドンブリセグメントによる保険は成り立たなくなるであろう。米国のオバマケアでも議論されたが、リスクファクターの大きい人に高い保険料を適用できない保険会社が、リスクによるセグメントごとに細かく保険料を設定できる保険会社に対する競争に負けるのは必定である。しかし、リスクプロファイルの大きな人を保険から排除するとなると倫理的な問題もある。リスクファクターの大きな保険対象は政府が担うしかなくなるかもしれない。

現在私も、将来の明確な見通しを持っているわけではないが、保険産業は大きな構造変革に見舞われることはまず間違いなかろう。情報技術を活用した革新的な解決法をもたらす企業には大きなチャンスが期待できる。ワクワクする時代である。

2015/01/11

企業の首都圏集中と鉄道網

 「わが国は大企業が首都に集中しすぎている」という意見があるが、現状では国際的に見て必ずしもそうは言えない。むしろ、これから集中化が進むのである。

日本の大企業を代表する日経225の企業リストを見ると、本社が首都圏にあるものは7-8割程度であろうか。これに対して、英国の大企業を代表するFT100やフランスの大企業を代表するCAC40のリストを見ると、その大半が首都に所在する。一方、アメリカやドイツの大企業の集中度はかなり低い(アメリカでは多数の大企業の登記上の本社はデラウェア州にあるが、これは税法上の理由によるものであり、実質的な本社機能はあちらこちらにある)。 この違いは、もちろん経済の現状だけではなく、それぞれの国の歴史的な事情も反映している。イギリスやフランスは昔から一極集中型の政治経済であったし、アメリカやドイツは今でも連邦制である(ドイツは1871年のプロイセンによる統一以前は、小国の集まりであった)。 日本は、信長・秀吉によって統一されている。

この事情は、各国の鉄道網を見てみると、目で確認することができる。アメリカやドイツは、網状の鉄道ネットワークが発達しているのに対して、イギリスやフランスは首都を中心に放射状に鉄道網が発達している。イギリスやフランスでは、隣の町に移動するときにも、鉄道で直接向かうよりは、一旦ロンドンやパリに出たほうが速いことが多い。これらの国では地方から地方へ移動するのに、自動車やコウチ(バス)が多用される所以である。 ところが日本の鉄道網は、東京や大阪等の拠点都市をハブとする hub and spokes 型のネットワークとなっている。 つまり、鉄道網の形が「アメリカやドイツは分散型、イギリスやフランスは集中型、日本はそれらの中間型という企業配置」と、見事に相関しているのである。

この事実から予想される事は、今後わが国で整備新幹線などによって鉄道網が整備されていくと、企業の首都集中化はますます進むだろうということである。EUでも見られているように、資本や労働の移動障壁が低くなると、域内は均一化するのではなく、逆に域内の差異が大きくなっていく(「経済学101」で習った、リカードの「比較優位性」である)。つまり、経済の首都集中化と地方の経済的な過疎化が一層進むのである。これにより、地方ではその地に特化した産業以外の一般的な産業はなくなっていく。一方、首都圏ではそこに居ることの経済的価値が高まると共に生活コストも高くなっていくために、引退した人などには住みにくくなっていくと思われる。したがって「首都圏は経済活動、地方は居住や観光およびその地に特化した産業」を主とするという棲み分けになっていくであろう。イケダハヤト氏もブログ(http://www.ikedahayato.com)に高知の住みやすさを書いているが、地方都市では、居住や観光を支えるためのサービス産業等も発達するであろうし、コンパクトで生活費も安いことにより、退職後の老人などにも住みやすくなると思われる。もし本気で地方に全般的な産業を復興させて自己完結経済圏に戻したいのならば、交通や移動を不便にして日本を分断するしかない。

2015/01/04

「創造的人材の育成」について

過日、野生のシジュウカラの集団において知識が伝承され、また、個体は集団の知識に同調(文化を伝承するという実験結果を紹介した。

実験では、森の中に右からも左からも開けられるえさ箱を複数置いておくと、シジュウカラは、集団毎に右または左からえさ箱を開けるやり方を共有する(「文化」と呼ばれる)が、このことは他の野生動物の集団でも観察されていて、これ自体は新しい知見ではない。驚くべきは、例えば、右からえさ箱を開ける集団にいる個体を、左からえさ箱を開ける集団に入れると、この個体は新しい集団に同調して、左からえさ箱を開けるという行動を採るようになる、ということである。つまり、シジュウカラは集団内で同調行動を採っているのである。

集団の生存戦略として考えると、少数の探索的(創造的)シジュウカラの個体がえさ箱を調べて開け方を発見するのだが、集団内の多数の個体は、改めて新しいえさ箱の開け方を探索することなく、他の個体により発見された開け方を模倣して、このやり方が集団内で共有される。もし、集団が同調者(模倣者)のみで構成されていれば、えさ箱を開ける方法は発見されないままとなる。他方、もし集団が探索的(創造的)個体ばかりで構成されていれて他の個体から学ぶことがなければ、各個体がそれぞれ探索行為を通じてえさ箱の開け方を発見することになる。この二つの極端なケイスはいずれも集団生存のためには効率的でなく、一定割合の個体が探索的(創造的)で新しいやり方を発見し、多数の個体がこれら探索的(創造的)個体の発見を模倣することが、集団の生存戦略としては効率的である。恐らく、進化過程を通じて、集団において最適な探索的(創造的)個体の比率を持つ種が、生き残ってきたと考えられる。


世の中は、ビジネスでも教育でも「創造的人材を育成する」というテーマが流行であるが、人類が地球でこれだけ生存し、多種を支配してきたことを考えると、人類における探索的(創造的)人材の現在の自然の比率は、恐らく生存戦略として効率的なのだと考えられる。勿論、各産業や社会の場面に応じて、最適な探索的(創造的)人材の比率は異なるであろう。とても、探索的(創造的)な外科医に手術をして貰いたいと思う患者は多くないであろうし、区役所の窓口の担当者がとても探索的(創造的)で、案件毎に異なる処理をされては困るであろう。とても探索的(創造的)なパイロットが操縦する飛行機は、事故も多いであろう。また、グーグルであればより大きな探索的(創造的)人材比率が最適であろうし、安定的な業界であればより小さな探索的(創造的)人材比率が最適であろう。いずれにしろ、万が一、国民の全員はおろか、大多数が創造的人材であるような社会になれば、社会全体の効率が極めて悪くなり、社会そのものの生存に関わるであろう。The Economist 誌も「創造性を強調する職場は問題が多い」としているし、J.G. March も exploration と exploitation とのバランスを強調したが、無闇に創造的人材を育成することが、社会・組織・集団の発展と生存に寄与するという保証は全くないのである。