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2015/06/19

【書評】『メンバーの才能を開花させる技法』

Wiseman, Liz and Greg McKeon (2010), Multipliers, HarperCollins
関美和・訳、メンバーの才能を開花させる技法、2015、海と月社

リーダーシップは、難しい。これだけ多くの図書やセミナーが氾濫していながら一向に減る傾向が見られないということは、(評者の教えるビジネススクールを始め)これらの処方の効果がまるで上がっていない、すなわち、リーダーシップに関する図書やセミナーや学校は限りなく無意味だという証拠に他ならない。このような状況を反映して『The End of Leadership*』なんて本迄ある。

* Kellerman, B. (2012) The End of Leadership. HarperBusiness
邦訳は、『ハーバード大学特別講義 リーダーシップが滅ぶ時代』だが、内容的には『リーダーシップ教育の終焉』が適切。

本書の原著は5年前に刊行され米国アマゾンの書評でも非常に好評だった、リーダーシップの良質なハウツー本だが、この度邦訳された。ポイントは、「多くのリーダーにとって、才能に溢れたメンバーを自由に集めることができるわけでなく、実際には、現有のメンバーから如何に多くの才知と努力を引き出して組織のために貢献して貰えるか、が成否の分かれ目になる」という認識である。著者らの調査によれば、人々は、Multiplier 型リーダーの下では、Diminisher 型リーダーの下に居るときに比べて、自ら持つ能力の2倍以上を発揮しているという。だとすると、増幅型リーダーは2倍の部下を持っているのと同じ事になるではないか! 

そこで、できるだけ才能のある人々を見つけて自分の組織に引きつけ、個々人の才能に応じて各人の限界まで能力を活用して貰うようにする。課題は設定だけして、(例え自分が解を知っていても)自分は引き下がり、解決法はメンバーに考えさせる。必要に応じてサポートはするものの、課題のオーナーシップはメンバーに渡して、責任も持たせる、等々、Multiplier 型リーダーになるには下準備と自制心が結構大変である。


本書は、実は、組織のヴィジョンやミッションは既にリーダーが自身で考え抜いていて、それを実行する戦略やその実施に組織メンバーの能力をフルに活用しようとする段階のノウハウ集なのである(その意味では人心操作に近づいている)。だから、本書の教えが実際に効果を発揮するかどうかは、ビジョンや目的についての熟考やメンバー各人の能力の棚卸など、リーダーが事前にどれだけ下準備をしておくかに掛かっている。これは、良い学校教師がする念入りな授業の準備と同様で、つまるところ、リーダーシップとは(もともと各人が持っている才能を開花させるという意味での)教育でもあるのだ。

2015/06/07

Apple at its Zenith?

Apple is a really great firm.  I have recently hit an article to show how foresightful the firm was.  In this article, we can see what Apple was conceiving in 80s: laptops, tablets, and even a wrist telephone!

http://www.theverge.com/2014/5/28/5757414/apple-prototype-tablets-phones-laptops-from-the-80s-photos

As a revolutionarily innovative and great company, the firm's market cap is over $740B at the time of writing this.

http://finance.yahoo.com/q?s=AAPL

There are pundits who predict beyond $750B, such as this.

http://www.forbes.com/sites/laurengensler/2015/02/19/5-reasons-why-apples-750-billion-market-cap-could-get-even-bigger/

But I cannot help feeling unease.

To me, Apple's strength as a business has been its relentless focus.  Despite its size, the firm's product line has been extremely narrow (just, a few models of gadgets and an ecosystem of software and contents).  They have been selling their goods/services without regional adjustments (except for currency and tax-related adjustment) as marketing or strategic gurus would preach.  This focus has had a huge impact on their learning curve, the economies of scale, operational simplicity (from manufacturing, logistics, shops, services to call centres) and the brand sharpness.

Now they seem to be diversifying into other (albeit related) products, such as watch and car.  This may well be the reflection of mounting pressure from the capital market for growth.

But I cannot help feeling that Apple is to throw away its core strength, the focus.

If you are to grow further without losing focus, the only logical way seems to split the firm into two (or more) focused firms.  If you try to keep all new products and services lines under one umbrella, you would become like, you know what, a Japanese electric/electronic mediocre or Korean chaebol.

I have been a Mac user since 1987 with a Macintosh Plus.  I was literally shocked and thrilled with its futuristic ideas, such as its file handling and network capabilities, which were (and still are) by far more advanced than its competitors in the market.  I have been a great fan of Apple since then.

So, I cannot help feeling very sad …

2015/04/05

規模と複雑性の罠

巨大なグロウバル銀行の収益性が低下して、悲惨な状態になっているという(The Economist、2015年3月7日号)。経営の複雑性、地元銀行からの競争圧力、規制強化の3つの原因が挙げられている。

第1の原因は、複雑性であるが、巨大で複雑な組織というものはそのマネジメントにとてもコスト(経営者のアテンションと時間とエネルギー)が掛かるのである。企業などでは余り議論されていないようだが、しばしば、この複雑性に帰因する問題は人智の限界を超えることになりかねず、巨大化による規模の経済を打ち消してしまう。

ソニーの不振の原因の1つもここにあると考えられる。家電と半導体とデヴァイスとエンターテインメントとネットワークと金融を同じ屋根の下に入れるのは、スーパーマンのような経営者をしてもとても困難であろう。古くは経営学者の Penrose も、マネジメントの複雑さが企業成長の制約になることを指摘している。

逆にアップルの好調の原因の1つは、同社の製品ラインおよび事業領域が極めて限られていることにあると考えられる(しかし、今後もこの優位性が維持されるかどうかは、経営者次第。既に、遠くに暗雲が見える)。マーケティングコンサルタントの Reis もフォウカスの重要性を繰り返し指摘しているし、筆者の提唱する組織IQにおいても「組織フォウカス」は5つの原則の内の1つとなっている。

製品ラインや事業分野がフォウカスされていることにより、意思決定の複雑さが減少され、意思決定に関わる情報処理の負荷が小さくなることの利益は計り知れない。企業の多角化や国際化において必ずしも陽表的に評価・議論されていない側面であり、注意が肝要である。

組織マネジメントにおいては(も?)、シンプルイズベストである。

2015/03/29

組織の終わり方(の覚悟)

米国の銀行規制当局(Federal Deposit Insurance Corporation)は、影響力の大きな銀行に対して、一定の条件を満たさなくなったときにどのように銀行を清算するのか、そのやり方を示すように求めている。

http://www.economist.com/news/finance-and-economics/21647312-regulators-desire-make-banks-easy-kill-determining-how-they

つまり「組織の終わり方を自分で考えなさい」ということである。巨大銀行の場合には、これはシステミックリスクを避けるあるいは軽減する観点から重要なのであるが、その他の組織にとってみても、これは素晴らしいことではないかと思う。

特に日本の組織は、永遠に続くこと自体があたかも良いことであるかのごとくに思い込まされている節がある。Barnard を引用するまでもなく、そもそも組織とは目的があって作られるべきものであるので、その目的を達成したならば解散して、それまで使用していた資産やお金や人材などを他の目的のために解放ことするが、社会全体から見れば望ましい姿である。であるから、組織の目的は、それが達成されたのかどうかが明確にわかるような形に定義すべきであり、「世の中を良くする」というような、達成できたかどうか分からないようなぼんやりした定義はよろしくない。世の中には、ただ存在することだけが自己目的化して、社会的に積極的な意義を果たしていないと思われるゾンビ組織があまりにも多すぎる。目的を達成したらば、直ちに組織は解散または清算すべきである。たとえ同窓会のように継続して存続することが前提の組織であっても、例えば「会員の満足度」などを定量的に測定して、目的が十分に達成されていない時には、解散して出直すなり、役員を入れ換えるなりすべきであろう。

組織を作るときには、「何が達成されたならば解散するのか」、そして「その時にどのように清算するか」、サンセット条項のようなことを定款に含めることが望ましいといえよう。財団や社団の場合には、解散時の財産の処分の仕方を定款で定めるようになっているが、これでは「どういう時に解散するのか」は決められていない。 企業は、その目的を明確に定義し、目的達成時には解散するよう定款に定め、その時の清算法も規定しておくことが社会の効率化のためには望ましいと言えよう。

2015/03/27

アナリティックスと保険の将来

ビックデータとアナリティックスの普及により保険対象のリスクをより正確に見積もることができるようになると保険産業はどうなるであろうか?

そもそも保険とは、同じリスクカテゴリの人々をまとめて確率的に起こる事象に対して集団的に保証するシステムである。以前は、保険対象のリスク見積が難しかったので、どんぶりセグメントで十把一絡げにしてきたが、リスクを細かくセグメンテーションができるようになってみたら、実は大きいリスクを抱えた保険対象と小さいリスクしか持ってない保険対象が同じプールに入っていたことがわかったとする。小さいリスクの保険対象に、大きいリスクの保険対象と同じ保険料を支払うことは合理的ではないことは明らかである。そこで小さいリスクの保険対象を持っている人たちはそのセグメントだけで安い保険料率を決めたいと望むのは当然である。しかし、セグメントの細分化を可能とする情報に基づいて合理的に行動すると、社会全体としてはどのようなことが起きるだろうか?

疾病保険では、遺伝子などの情報により一人ひとりのリスクファクターが明らかになり、同じリスクのグループごとに異なった保険料率を適用することになろう。こうなると、小さいリスクの人たちのセグメントでは正常な保険が成立しうるが、大きいリスクをもつ人たちのセグメントでは保険料率が高くなりすぎて、保険に入らない(入れない)人も出てくるであろう。

自動車保険では、運転者の性格や事故の履歴、飲酒癖などは非常に重要なリスクファクターとなろう。

http://www.economist.com/news/finance-and-economics/21646260-data-and-technology-are-starting-up-end-insurance-business-risk-and-reward
には、運転習慣(どの位急ブレイキを踏むか、など)を測定するデヴァイスをクルマに設置して、これに応じて保険料率を変動させる話が出てくる。

安全運転をする人のセグメントと危険な運転をする人のセグメントでは、当然、保険料率は異なってくるであろう。安全運転をする人のセグメントから中位のリスクの人のセグメントでは正常な保険が成立しうるが、大きな事故リスクを持ってる人のセグメントでは、おそらく保険料率が高くなりすぎて、保険は成立しなくなると思われる。つまり、このセグメントでは保険料率が高いので多くの人は保険に入らず、その結果非常に危険な人たちが任意保険なし(自賠責のみ)で車を運転し廻ることになる。こうなると、非常に危険な運転をする人のセグメントについては法律で運転を禁止するか、普通の人々は災害保険に入るしか手の打ちようがなくなるかもしれない。

生命保険については、健康に関する遺伝情報とそれからその人の危険な行動するかどうかの情報からリスクファクターを割り出すことになる。この場合も、リスクファクターが小さいセグメントでは正常の保険が成り立つが、リスクの大きい人々のセグメントでは保険は成り立たなくなる。

いずれの場合においても、リスクの見積もりが正確で細くなるにつれ、そもそもの保険の概念が変わらざるを得ない。従来からの、ドンブリセグメントによる保険は成り立たなくなるであろう。米国のオバマケアでも議論されたが、リスクファクターの大きい人に高い保険料を適用できない保険会社が、リスクによるセグメントごとに細かく保険料を設定できる保険会社に対する競争に負けるのは必定である。しかし、リスクプロファイルの大きな人を保険から排除するとなると倫理的な問題もある。リスクファクターの大きな保険対象は政府が担うしかなくなるかもしれない。

現在私も、将来の明確な見通しを持っているわけではないが、保険産業は大きな構造変革に見舞われることはまず間違いなかろう。情報技術を活用した革新的な解決法をもたらす企業には大きなチャンスが期待できる。ワクワクする時代である。

2014/12/04

成熟技術における技術革新 ー空調ー

空調は今やわれわれの社会生活や産業に不可欠なものとなっているが、これは成熟技術であり、ここ何年かにわたって画期的な技術革新は起こっていない。原理そのものは何十年も同じままである。空調エンジニアリング企業は、既存技術の効率化に知恵を絞っているが、ここまで成熟化してくると、飛躍的な効率の向上は難しい。業界全体が、クリステンセンが指摘する、既存技術の典型的な状況にあると言える。

クリステンセン(2001)『イノベーションのジレンマ』

しかし、地球温暖化が真実だとすれば、今後40年にわたって温帯・熱帯地域の人口が急速に増加することはほぼ確実なので、設置と運用コスト(エネルギー費用)の点で画期的に安価で簡単な空調技術の需要が爆発的に増加することは間違いない。そして、大きな需要があれば、遅かれ早かれ必ず技術革新が起きると見ている。このような従来技術の延長線上にはない、全く新しい技術がでてきたときに、専ら従来技術の精緻化に特化してきた企業群があっという間にシェアを失うことは、歴史が示す通りであり、このことはクリステンセンの前掲書にも詳しい。

そう考えていたら、先週の The Economist に、太陽光を反射する膜をつかって、効率的に室内熱を宇宙に輻射する技術についての記事があった。

Electricity-Free Air Conditioning

勿論未だ研究室段階で実用化までの距離は遠いが、「空調の可能な技術は従来方式だけでない」という好例である。技術革新というのは、一旦弾みがつくと、あちらこちらで次々に新しいアイディアが出て、どんどん進展するようになる。今まで、変化に乏しく、どちらかというと安定した(あるいは退屈な)状態にあった空調業界も、エキサイティングな時代になりそうだ。

2014/06/19

Twitter では、人間とロボットを区別できない!

ツイッターなどの比較的短く、履歴の浅い(遠い昔の話まで遡らないで直近の発言に反応する)発言は、チャットボットが得意とし、人間とチャットボットの区別が難しい範疇である。

MIT Technology Review に掲載されている記事
によると、120個のロボットを使った実験では、まず最初の30日間にTwitter社によってロボットであることを発見されてアカウントを停止されたのは僅か38個だけで、7割のロボットは発見されなかったという。この間、これらのロボットは延べ約5000人(その内の何人かは他のロボットかも知ないが)にフォローされ、2割以上のロボットは100人以上のフォロワーを得ることができた。Twitterの人間全ユーザーのうち46%しか、100人以上のフォロワーを持っていないことを考えると、素晴らしい結果である。また、Twitterにおける影響度を測るKloutという指数があるが、この研究者によるとロボットは有名な学者やソーシャルネット研究者並みのKloutを稼いだそうである。

これが意味していることは、企業側としては、Twitterロボットの悪用により、あたかもその企業の製品やサービスの人気があるかのようなニセの世論を作り上げることもできるが、同時に、競合企業のロボットにより戦略を誤らされる(例えば、競合にとって怖くない劣った製品やサービスの人気があるようなニセの世論を作られて、資源配分を誤るなど)ような可能性もある。Tweetのテキスト分析は、どこまで信用して良いのか分からないということだ。

ここまで人工知能が発達すると、140文字に拘る限り、効果的な対策は難しい。取り締まりを強化すると、本物の人間のアカウントを誤って停止してしまう確率が大きくなるからである。したがって、Twitterや他のSNSのテキスト分析に基づくビッグデータ活用には注意が必要となろう。

2013/12/08

経営学は人びとを幸福にできるか?

本日の朝日新聞の書評欄に、宇沢弘文氏と『経済学は人びとを幸福にできるか』のことが紹介されていた。
  宇沢弘文 | 経済学は人びとを幸福にできるか

衝撃を受けた。

経済学について、こういう発想は初めて見た訳ではないが、何故か今日は、突然頭の中に「経営学は人びとを幸福にできるか?」という疑問が湧き、半日このことを考え続けた。戦略論は、マーケティングは、組織論は、人びとを幸福にできるか?

これは、一筋縄ではいかなさそうな挑戦だ。早速、「Philosophy of Management」と Google で引いてみると英国に同名の学術雑誌があることが分かったが、ウェブでこの雑誌の紹介を見てみると、ちょっと上掲課題とは異なるようだ。
       Philosophy of Management
また、よくあるような、功成り名を遂げた経営者による「経営哲学」とも違う。

私なりのアプロウチでは、先ずは「経営学にとって実現に貢献できるのは、どのような形の人びとの幸福か」を仮に定義してみて、「それぞれのディシプリン(領域、科目のこと)が、各々どのようにこの幸福に貢献しうるか、幸福をぶち壊すのか」を考察していく、ということだろうか。


たった今は3日後に迫った海外学会出張の準備で忙しいが、帰国後に時間をみて哲学者のTと議論してみよう。旅行中に、少しは考えを進められるかも知れないし。

2013/01/21

アウトソーシングの終焉?

来月、米国ノースカロライナでコンピュータ工場が操業を始める。工場主はレノボ。
「製造業は、アウトソーシングやオフショアリングから、先進国に戻りつつある」という The Economist 誌の特集記事。生産基地を中国より更に労賃の安い地域に求めているようでは、世の中から半周遅れとなることは否めない。

Special report: Outsourcing and offshoring

2012/11/01

【書評】『つながりすぎた世界』


Davidow, William H. (2011), Overconnected, Headline Publishing Group, London
酒井泰介・訳『つながりすぎた世界』ダイヤモンド社, 2012
------------- 19世紀の中頃までには、シカゴは全米の交通の要衝となっていた。しかし、シカゴの地位を決定的なものしたのは、鉄道である。鉄道網がシカゴを中心に伸びていき、西部からの食品はシカゴを経由して東部に送られた。牛もシカゴに集められて、貨車に積まれ東部に送られたが、輸送中に痩せたり死亡するだけでなく、東部で解体されたときには内蔵など価格のつかない部分の方が多かった。この非効率性に目を付けたスウィフトは、19世紀終わりに冷蔵貨車を開発して、シカゴで解体した精肉のみを東部に送るという技術革新を実現した。これにより、家畜輸送業者や東部の解体業者は中抜きされ、シカゴには資材・食品・交通関連業者・流通業者等々がますます集積し、世紀の変わり目にはマーカンタイル取引所もできて、経済の中心地となった。これは、技術と正のフィードバックが社会の結合状態を高めることにより社会が進歩した好循環の例である。 現在は、シリコンバレーがIT産業集積の中心となり、鉄道時代の代表的通販業者だったシアーズはアマゾンに取って代わられるなど、インターネット技術と正のフォードバックによる社会の変革が続いている。しかし、1世紀前の変革との違いは、現在では余りにも速くかつ強く正のフィードバックが掛かるために、われわれが制御できないほどまでに社会の結合状態が強まってしまい、かえって社会的に危険な状態が発生しているというのが著者の主張である。過剰結合により、アイスランドの金融バブルと崩壊や米国サブプライム問題など、多くの大規模な社会的、経済的、技術的問題が起こされているという。失敗や大規模システムに関する先行研究を渉猟した上で、過去に戻って既存の過剰結合をなくすことはもう出来ないので、
①正のフィード バックの程度を下げることにより、事故を減らし、思考感染を緩和し、全体的に予期せぬ結果を減らす、
②より強靱で事故を起こしにくいシステムを設計する、
③既にある結びつきの強さを認識し、社会制度をより効率的・適応的なものにする
ことを目指すべきであるとする。

著者は、電気工学の博士号をもち、インテル、HP、GEを経て、ベンチャーキャピタリストとして成功している。原書にある「原発はそもそも危険なシステムだから最初から作るべきではない」という箇所は、何故か訳書からは除かれている。


[本書評は、「週刊ダイヤモンド」誌 2012年7月14日号「書林探索」に掲載された原稿を基にしている]

2012/09/10

The Science of Conducting / 指揮の科学

According to a clever empirical study on the relationship between the conductor and the musicians, an assertive conductor adds value to the quality of the music only when his authority is accepted by the uppity musicians.  When he fails to command the musicians' respect, the performance is worse than that by  meeker conductor who let the musicians play by themselves.  Sounds familiar?

The result seems to have significant implications on management and leadership.  It would be certainly nice if the experiment is replicated with a larger sample (more excerpts).

指揮者と楽団員との関係に関する実証研究によると、支配的な指揮者は、自尊心の高い楽団員にその権威が受け入れられているときにのみ、演奏の質を高めることが出来る。しかし、楽団員の尊敬を得ることが出来なければ、その演奏は、消極的な指揮者が楽団員が自発的に演奏させたものに劣る。如何にもありそうな話だ。

結果は、マネジメントとリーダーシップに大きな含意がある。もっと大きなサンプル(試行数)で再試をやって欲しい。

http://www.economist.com/node/21562182

2012/09/04

社会事業の起業

私の勤務する早稲田大学ビジネススクールでも、「起業したい」と言ってくるMBAプログラムへの応募者が少なくないが、どのような事業にするのかと聞くと、残念ながら(少なくとも私には)夢も社会的意義も全く感じられないような計画が大半である。

先週の「The Economist」誌の Technology Quarterly には、素晴らしい話が幾つか出ている。

一つは、開発途上国の衛生状態を改善するためのトイレの開発。Bill and Melinda Gates Foundation が主催した「Reinventing the Toilet Challenge」が課した条件は、
(1)維持費が一人1日当たり5セント以下
(2)汚物を処理するのに、上水も下水道も不要
(3)エネルギーを発生し、塩分・水分・その他養分を回収する
というようなもの。想像力を掻き立てる挑戦ではないか!
http://www.economist.com/node/21560990

もう一つ興味を惹いた事例を紹介すると、開発途上国で一般的な灯油ランプ(不健康なガスを出し、事故も多い)を不要にするための、太陽エネルギー利用の照明機器。安価で丈夫かつエネルギー効率の良い機器の開発と、これを普及するためのビジネスモデルを一体として考える。アフリカでは携帯電話を利用した送金サーヴィス(M-PESA が最も有名)が発達しているが、同様に太陽エネルギーを活用して広く電気を供給できれるようになり、さらにランプだけでなく炊事も出来るようになれば、灯油の費用と事故の減少により、そのメリットは莫大である。
http://www.economist.com/node/21560983

こういう話は、単に「儲かりそうかどうか」というビジネスプランと全く異なり、大いにワクワクさせられる。こんな計画をもっている応募者がいたら、是非私のゼミに来て貰って、一緒にトコトン考えたくなる。起業を目指す人は、「社会にとってどのような価値があるのか」を、もっともっともっと考えて欲しい。


2012/03/19

Future of the Press 新聞の将来

The Economist looks at the future of the press in the context of the on-line version.

『エコノミスト』のオンライン新聞と新聞の将来に関する記事。

What is missing here is the vulnerability of Japanese papers.  For example, it will probably be agreed that in the area of economic/business press, the Financial Times is far more important and influential globally than the Nikkei.  The global circulation of the former (including the digital edition), however, is only one fifth of the latter (predominantly in Japan).  Despite their bloated operation, the Japanese papers have little room for international expansion in the era of global on-line competitors.  Japanese are already over sold daily papers, and number of Japanese speakers globally is not growing.  Furthermore, in the past year, the main stream papers have lost confidence of the general public, as they have played to the government's tune in (not) reporting facts about the Fukushima accidents and aftermath.  If the New York Times and the Guardian are in difficulties, Japanese papers are in a catastrophy.

同記事に扱われていないのは、日本の新聞の状況である。例えば、国際的に見て、経済・ビジネス分野では、フィナンシャルタイムズの方が日経より遥かに重要で影響力があるということについては大方の同意を得られよう。ところが、前者の発行部数は(電子版を含めても)後者(殆ど国内で売られる)の5分の1にしか過ぎない。新聞がディジタル版では国際的に競争するようになっている時代にもかかわらず、日本の水ぶくれした新聞が国際進出出来る余地は限られている。国内では、(世界的比較から見ると)既に新聞の発行部数は多すぎるし、世界的に日本語を読む人口は増えそうもない。さらに、昨年の福島原発事故以来、主流新聞は政府寄りで事実を報道しないという実績で、信頼性を失っている。ニューヨークタイムズやガーディアンが困難に直面しているというのなら、日本の新聞は破局に面していると言えよう。


2011/11/10

『マネーボール』とマネジメント

日本では11日に公開される『マネーボール』(ベネット・ミラー監督、ブラッド・ピット主演)は、米国の球団、オウクランドアスレティックスとそのジェネラスマネジャー(GM)、Billy Beane の物語である。実写も交えた映画自体として面白く楽しむことができるが、マネジメントの点から学ぶこともある。

そもそも1990年代末のアスレティックスは、選手の給料総額が NYヤンキースの3分の1しかない貧乏球団だった。にもかかわらず、Beane がGMになって最初のシーズンの1998年には74勝だったが、99年には87勝、2000年と2001年にはそれぞれ91勝と102勝で、プレイオフに進んだ。映画の基となったMichael Lewis 著の『Moneyball』は、その後の2002年シーズン頃を舞台としている。2001年には、契約のルールにより給料が高額になった主力選手3名を放出せざるを得なくなり、2002年のシーズン前新人ドラフトがとても大切となった。勿論、貧乏球団が金持ち球団と同じ戦略を採ることは負けを保証することであり、Beane は、それまでのプロ野球界の常識を覆すデイタ重視の戦略で賭に出た。その結果、2002年には103勝を上げ、またプレイオフに進んだ。

(1)優秀な選手が抜けて出来た穴は、特定の点で優れているが他の領域では凡庸で世間の評価が高くない選手の組み合わせで埋め合わせることができる。

圧倒的な攻撃力を持ち、優秀な一塁手でもあった Jason Giambi が高額でヤンキースにドラフトされた後は、マイナーリーグでプレイしていた弟の Jeremy Giambi、36歳となって市場価値の落ちていた David Justice、怪我によって投球が出来なくなり捕手としての選手生命が終わってしまっていた Scott Hatteberg を安く雇った。この3人に共通する特徴は皆出塁率が高いことであったが、守備力には難点があった。そこで、Giambi と Justice は交代でレフトに充て、Hatteberg は訓練し直して投球の必要性が小さい一塁手とした。

つまり「人材がいない」と嘆く前に、業務にはどのような能力が必要なのか、緻密に分析して、キーとなる能力に注目してそれを持つ人を登用する。キーとなる能力以外の能力は劣っていても良いのであれば、代わりの人は容易に見つかる場合もある。あとは、それらの人々をどう組み合わせて活用するか、経営者の腕の見せ所である。

(2)試合に勝つための真の要因は、広く受け入れられている常識とは異なることも(しばしば)ある。

もし、勝つための真の要因が、常識の通りであったら、貧乏チームのアスレティックスに勝ち目はない。Bean は、イェイル大学で経済学を学んだ Peter Brand(原著では、ハーヴァード卒の Paul DePodesta。何故、映画では別人になっているのだろう?)の助けで、膨大なデイタの統計分析から、勝つために必要なのは、打率や盗塁率などではなく、出塁率と長打力であることを理解していた。試合中の攻撃では、振らないこと、投球数を多くさせること、出塁すること、チャンスがあれば長打を狙うこと、バントや盗塁禁止などの方針を徹底させた。また、新人が将来のメイジャープレイヤーになるための資質が、ストライクゾウンを操り、無闇に振らないで出塁を選ぶ能力であり、脚力や守備力は関係ないことも分析していた。したがって、新人ドラフトでは、出塁率では優れているが特に目立たず他球団が注目しないような大学選手(高校選手はデイタが少なすぎる)を好んで指名した。チーム運用効率化のポイントは、1出塁に必要な追加的コストを低下させることであった。

一般に弱者が強者と同じ戦い方をしては、勝ち目がない。弱者は、旧来の常識を捨て、市場や競争のダイナミックスをよく分析して、新しい戦い方を編み出さねばならない。その新しい戦い方が、強者には向かないようなものであれば、言うことはない。

(3)Billy Beane がアスレティックスで実行した戦略や考え方はずっと以前から知られていたものだが、彼以前にデイタに基づいた野球を実行した GM(または監督)はいなかった。

野球に関わる統計と勝因の分析は、Bill James に始まるとされ、多くの先駆者がいて、例えば打率は必ずしも勝ち数とは関係ないことも知られていた。アスレティックスが実際に勝利すると、プロ野球界には、悪口を言ったり腹を立てる人々も出てきた。米国で『Moneyball』がベストセラーになると、ビジネスだけでなく多様な分野の人々がアスレティックスの教訓を学ぼうとしたが、学ぼうとしなかったのはプロ野球界であった。

人間は保守的なものである。例え実証的な理論であっても、それまでの常識と異なると、なかなか採用することができない。デイタを見せられても、信じたくない人は信じない。人間は非合理な存在なのである。そのお陰で、実証に基づく経営(Evidence-based Management)は、業績を上げることができるのだ。

訳本は誤訳が目立つので、英語が苦でなければ、原書がお奨め。

2011/10/25

Olympus and Japanese Corporate Governance オリンパスと日本のコーポレイトガヴァナンス

Olympus affair.  It is really amazing Mr Woodford failed to understand, after 30 years service at the company, that his appointment was just a window-dressing, intended to give a façade of "global" company with "international" culture (it would have been even better if it had been a blond beauty instead of a burly businessman).  Main stream media here write/talk little and Tokyo Stock Exchange has not (so far) declared Olympus a "security under supervision".  Foreign media are shocked by the relative quietness about the matter in Japan.  When shall foreigners understand that corporate governance in Japan exists, NOT for the shareholders, but for the loyal company men?

TPP may well force-change all these, of course.  Do TPP promotors here understand this?

オリンパス事件。30年間もオリンパスに勤めたウッドワード氏にして、彼が社長に指名されたのは「国際的」企業文化を持つ「グローバル」企業という外見を作る為だった(頑強なビジネスマンでなく、金髪の美人社長だったもっとよかった)ということを理解していなかったことは驚くべきである。国内主要メディアは大きく報じていないし、東証は同社を(今の処)監理銘柄に指定していない。海外主要メディアは、日本での反応が余りに鈍いのに驚いている。外人は、日本のコーポレイトガヴァナンスは、株主のためではなく、忠実な社員のためにあるということを、一体いつになったら理解するのだろう?

勿論、TPPによって、これは大きく変えさせられることになろうが。これにより日本の美風コーポレイトガヴァナンスが強制的に失われるであろう事を、TPP推進者はどこまで理解していることか ...

http://www.economist.com/node/21533431


Note on 20 April 2012

I had originally uploaded this article with my tongue in cheek six months ago, but the reality turned our to be even more surreal yesterday when the company's new board was announced.

http://www.ft.com/intl/cms/s/0/3f0faaa0-8ac1-11e1-912d-00144feab49a.html#axzz1sm39qyxd

2011/10/22

Perils of International Expansion 国際化の危険

There have always been evidences against the diversification by firms.  Now an evidence concerning law firms against international expansion (ie, geographical diversification).  According to the Economist, as law firms increase the ratio of lawyers stationed abroad, their profit per equity partner decreases.  Diversification of all sorts creates increased information processing load for the organisation and its managers, and easily surpasses their information processing capacity, resulting in poor and/or delayed decisions.  Focusing seems to make sense here as well.

企業の多角化を否とする証拠は常に存在するが、今回は、法律事務所の国際化(=地理的多角化)を否とする証拠が紹介された。『エコノミスト』誌によると、法律事務所が海外駐在の弁護士の割合を増加させるにつれ、(所有権を持つ)パートナー1人当たりの利益は減少する。多角化というものは、組織とマネジャーに対する情報処理負荷を増加させ、彼らの情報処理能力を超えてしまいがちとなる。そうなると、意思決定の遅れや間違いが発生する。ここでも、集中はペイする戦略のようだ。

http://www.economist.com/node/21532313

2011/10/11

昔は、作れば売れたけど ...

かなり歳取ってきただけでなく、Steve Jobs のこともあり、余命を考えるようになった。「古典的な本で未だ読んでないものは、生があるうちに読まねばならない」という気がしてきて、長年、積ん読になっている本の山から、まず Vance Packard の "The Hidden Persuaders" (Pocket Books, 1957)(『隠れた説得者』、林周二・訳、ダイヤモンド社、1958)の埃を払って読み始めた。

眠る前にベッドサイドブックとして読み始めた(だから、いつ読み終わるか分からない)のだが、第2章で起きてしまった。

Packard は、何と、1950年頃には「生産量が多すぎて黙っていると売れ残ってしまうから、心理学などを使って、本来不必要な需要を喚起して不要品を欲望させる必要が出てきた」と書いているのである!!!

ご存知のように、ビジネス書の多くは(研究書でさえも)、「昔は生産量が限られていたので、生産者優位で、作れば売れた。しかし、最近は生産効率が増加し、相対的に消費者優位となってきたので、ただ作っただけでは売れず ...」という枕で始まり、「だから、今は XXX せねばならない、YYY をしてはならない ...」と自説を論ずる。

私もぼんやり受け入れていた(私は「価値観の多様化」は受け入れていない。これについては、別稿で書こう)が、1950年代には、もう既に「作れば売れる」時代は終わっていたのである。

では、作れば売れた「昔」とはいつ頃のことだったのだろう?

落ち着いて歴史を考えてみると、我が国中世の「坐」や欧州中世の「手工業ギルド」は、生産者によるカルテルであり、生産調整の機能を果たしていたと考えられる(大学も、教育サーヴィスの生産調整を行うギルドだった)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ギルド
http://ja.wikipedia.org/wiki/座
つまり、産業革命を待たずして、既に中世でさえも「作れば売れる」時代ではなかったのである。だから、まともにビジネスマネジメントを論ずるのであれば、「作れば売れた時代」などというものは、かつて無かったと言えよう。

系として、「作れば売れた昔」と「消費者に焦点を合わせなければ売れない今」とを対置するような論立てのビジネス書は、まぁ眉唾モノということになるのだろう。

勿論、今も昔も人気商品は作る端から飛ぶように売れていくのであり、小手先の消費者対策などよりも、売れる商品(またはサーヴィス)を作ることに集中すべきであることは言うまでもない。

2011/10/07

(Further) About Jobs (今更)ジョブズについて

As there have been so many articles about Steve Jobs already, I have been feeling reluctant to further add anything.  However, I have decided to react to the article by Nobuo Ikeda.

Ikeda maintains that the greatness of the magician resides not in his technological nor visionary genius, but in his capability to realise his ideas into product design.  Because of this emphasis on details, he deconstructed the hardware-software amalgamation and largely outsourced the production function, so that he could exercise the overall control throughout the company's value chain.  It was true.  I agree.

What I like to add is that Jobs extremely narrow-downed Apple's product range.  This is again a good example of focusing.  You should keep the required information processing load below your information processing capacity.  In many large firms, the information processing is shared by number of people.  In Apple, basically Jobs was the only information processor concerning important product dimensions.  Focussing both on the value chain and the product range, hence.  Great!!  Perhaps, many of Japanese manufacturers who tend to easily succumb to the temptation of product line proliferation could learn a thing or two.


ジョブズについては既に多くの記事があり、今更付け加えるのも、と躊躇していたが、池田信夫氏の記事に反応した。

池田氏は、ジョブズは技術的天才でもなければ、ヴィジョナリでもなかった。アイディアを商品化する能力に優れていたのだ、とする。細部に拘るために、もともとはハードとソフトの統合メイカーだったものを、製造部門はアウトソースしておいて、ヴァリューチェイン全体をコントロールしようとした。その通り。賛成だ。

私が付け加えたいのは、アップルの製品群が極端に少ないことである。これは集中の好例である。情報処理負荷は、情報処理能力以下に抑えねばならない。多くの企業では、情報処理は複数の人が担っているが、アップル製品に関する主要な情報処理はジョブズが担っていた。したがって、ヴァリューチェインと製品群についての集中化。素晴らしい! 直ぐに製品ラインを拡張しがちな日本の製造企業も、学ぶことがあろう。

2011/10/03

「HP ウェイ」はどこに行った? Where Has the "HP Way" Gone?

HP は、Léo Apotheker を就任11ヶ月でクビにした。1999年以来6人目の CEO だ。HP を偉大な企業たらしめていた「HP ウェイ」は、一体どこに行ったのだろう? The Economist 誌によると、外部からスター経営者を招聘すること自体が間違っているという。


HP fired Léo Apotheker after only 11 months.  He was the sixth CEO of the firm since 1999.  Where has the "HP Way" gone that had made HP such a great company?  According to the Economist, evidences show that recruiting star CEOs from outside is totally wrong.

"... An unpublished paper presented to the annual conference of the American Accounting Association in August by Richard Cazier of Texas Christian University and John McInnis of the University of Texas at Austin ... studied 192 CEOs who had been brought in from outside between 1993 and 2005. They discovered that companies usually recruit CEOs from companies that have done well in the past—no surprise there—and that they usually pay them a fat premium. But then comes the rub: the pay premium is negatively correlated with the future performance of the firm that does the hiring. In other words: the more dazzling the outside recruit, the worse he performs in his new role."


2010/01/30

【書評】 『コークの味は国ごとに違うべきか』

パンカジ・ゲマワット著(望月 衛:訳)、文芸春秋社、2009
Pankaj Ghemawat (2007), Redefining Global Strategy: Crossing Borders in A World Where Differences Still Matter, Harvard Business School Press


かつては、レヴィット(『市場のグローバル化』1983年)や大前(『トライアド・パワー』1985年)が、そしてケアンクロス(『距離の死』1997年)を経て、最近ではフリードマン(『フラット化する世界』2005年)等の論者が、世界は均一化してきていると主張していて、恐らくこれは多数の認識であろう。しかし、ハーバードビジネススクールの俊英教授ゲマワットは、データに基づいて、この多数派説に真っ向から異を唱える。 

データに依れば、グローバルなM&Aが喧伝されているにも拘わらず、2000年代初頭において、対外直接投資が世界の固定資産形成に占める割合は10パーセント以下であるし、国際電話比率や海外からの観光客比率、海外株式投資比率などいずれも10パーセントを大きく超えることはない。また、トヨタやウォルマートに代表される多くの多国籍企業は、その利益の多くを母国で得ている。すなわち、実際の世の中は、ある程度グローバル化しているが、完全にグローバル化(またはフラット化・均一化)している訳ではない。この状態を著者は「セミグローバル化」と名付ける。

従来の国際戦略論は、世界がグローバル化したというイデオロギーに基づいて作られているので有効ではないと断じ、著者はセミグローバル化した世界という事実を前提とし、「市場や世界の均一化」ではなく「国や社会の間に厳然と存在する差異」を利益の源泉と考える新しい国際戦略論を提示する(原題は『国際戦略の再定義』)。

前半では、以上の事実確認とともに、国や地域ごとの差異を測定・考察するための枠組み(CAGE)とクロスボーダー戦略の有効性を評価する枠組み(ADDING)が説明され、後半では、セミグローバル化した世界で差異を活用するための3つの戦略オプション(AAA)が解説されている。経営者やビジネスマンが、「国際化して利益をあげられるのか」「そもそも何のために国際化するのか」等を根本的に考え直すための強力な枠組みを提供している。

翻訳は概して適切だが、文中に ADDING の原語の説明がほとんど無いことがやや不親切で残念。また、著者が万有引力の法則を間違っている(引力は「距離」に反比例ではなく「距離の2乗」に反比例する)のはお愛嬌である。

[週刊「ダイヤモンド」誌 2009年8月15/22日号 p.124 掲載を一部編集]