2019/07/06

The Second Half of the Internet

The internet has largely penetrated for the half of the global population, predominantly  in the developed world. The future growth comes from proliferation into the second-half of the global population, mainly in developing countries. The report claims that the nature of the second half of the internet would be very different from that of the first half which has happened so far.

The first application used by the second half is entertainment (Timepass in Indian English), not business nor learning.  Video is the main means of communication used in developing countries for timepass, more than in the developed countries.  Vast majority of the second half users may speak plural languages, but tends to be illiterate.  Voice-to-text apps are heavily used.  Voice search is important in developing countries as searches by other means in the developed world.


If this report is true, there can be two important implications. 

First, importance of literacy may wane in future. This will have significant implications on how we teach and how we communicate in future. In the classroom, we may be teaching more of oral communications then on written communications.


Secondly, some 90 years ago Keynes noted “… for the first time since his creation man will be faced with his real, his permanent problem-how to use his freedom from pressing economic cares, how to occupy the leisure, which science and compound interest will have won for him, to live wisely and agreeably and well.”  Well, it seems people at last have found how to occupy the leisure, but perhaps not necessarily to live wisely and agreeably and well, if we consider our pressing needs for better educating the second half.

2017/10/06

Daughters Contribute to VC Performance 娘がいると VC の業績が上がる

The economist article introduces a work by Paul A. Gompers and Sophie Q. Wang titled "AND THE CHILDREN SHALL LEAD: GENDER DIVERSITY AND PERFORMANCE IN VENTURE CAPITAL".  In it the authors report that VCs with senior partners with daughters tend to hire more women and that they tend to perform better than those with senior partners with sons.

It would be nice to see further empirical works on diversity and performance.

エコノミスト誌の記事は、Paul A. Gompers と Sophie Q. Wang による "AND THE CHILDREN SHALL LEAD: GENDER DIVERSITY AND PERFORMANCE IN VENTURE CAPITAL" という論文を紹介している。著者らによれば、娘を持つ経営者のVCは、より女性を採用する傾向があり、また息子を持つ経営者のVCより業績もよいという。

多様性と業績の関係については、さらなる実証研究が望まれる。

The article from the Economist


2017/10/01

Effectiveness of Management Education 経営教育の有効性

According to an randomised controlled experimentation of 1,500 small firms in Togo, psychological or attitudinal training contributes much more than traditional management education to their sales and profitability. The result itself is hard to dispute. Then the question is how important is the context. Would the conclusion is tenable universally? Or only in developing countries? Or only for small firms? How about small teams within a large firm? Very interesting! 1500社のランダムコントロール実験によれば、少なくともトーゴ(または開発途上国)の小企業経営者については、伝統的な経営教育よりも心理・態度訓練の方が、売上や収益性に貢献する!
これは大規模なコントロール実験なので、十分に信ずるに値するが、文脈(トーゴとか小企業とか)がどの程度効いているのだろうか?
普遍的に言えるのか? 開発途上国に限るのか? 大企業でも言えるのか? 大企業の中でも数人のチーム単位なら言えるのか? 非常に興味深い研究。 The article from the Economist

2016/06/26

英国のEU離脱とこれへの反応について

英国のEU離脱を「不合理」「理解できない」とするコメントが、主として経済人・ビジネス人から怒濤のように出されているが、これ(と他の国でも起こりつつある反体制運動)は、行動経済学で普遍的に観察されている「自分が損をしても、他人の unfair な利益を罰する」という行動の典型的事例ように見える。

つまり、コメントを出している人達は、エスタブリッシュメントに所属していて、(主として自分達の)経済的な損得だけからしか状況を見ていない。「マクロ経済的に、EU残留の方がメリットがある」「グロウバル経済にとって、EU残留の方のメリットがある」と言ったところで、そのメリットの大半が、英国および世界のエスタブリッシュメントのものになることは、見え見えである。現状から経済的なメリットを得ていない(と感じている)非エスタブリッシュメントから見れば、エスタブリッシュメントだけが経済的メリットを享受するようなシステムを支持する理由はない。トリクルダウン効果が無いことも、別に経済学者に実証してもらわなくても、実感として分かっている。貧富の差は大きくなるばかり。非エスタブリッシュメントにとっては、離脱による経済的損失は僅かなもので、大損するのはエスタブリッシュメントと認識されている(「ざまを見ろ!」)のである。非エスタブリッシュメントの大衆が「エスタブリッシュメントの一方的経済利益を罰した」と言える。

そもそも富の偏在がここまで非道くなっていなければ、このような結果にはならなかっただろうし、EU残留の発言をしていた人が(私の知る限り)全員エスタブリッシュメントだったというのは、広報戦略上の大きな誤りだったと思う。今回のキーワードは、「resentment」あるいは「不公平感」で、そこにはマクロ経済的合理性はない(これこそ、まさに行動経済学が発見したことである!)。エスタブリッシュメントのEU残留派はこのことに全く思いが至らず(=エスタブリッシュメントの劣化)、非エスタブリッシュメントにとっては最重要事である「分配」を議論することなく、マクロ経済的合理性の議論だけで乗り切れると踏んだところが敗因だったと考えられる。「Occupy Wall Street」やトランプ氏の勢いなどにも同様の心理が見て取れ、世界的なエスタブリッシュメントの劣化と共に社会分裂しつつある現在に共通する問題とも言える。

2015/08/15

「降伏受諾記念日」によせて

8月15日を、何故「終戦記念日」と呼ばねばならないのだろう?
事実に照らしてみれば、
1945年8月14日:ポツダム宣言受諾決定(終戦の詔書)
8月15日:玉音放送
9月2日:降伏文書調印(ミズーリ号)
1951年9月8日:講和条約調印(サンフランシスコ)
1952年4月28日:講和条約発効

であるから、どうみても「終戦」は1952年4月28日であり、1945年8月15日は単に「降伏受諾」を国民に告知した日でしかない。したがって、8月15日を記念日とするならば、「降伏受諾記念日」あるいは「敗戦確認記念日」である。

日本には、退却を「転進」と言い換えるように、失敗や敗北などの単純な事実を言い換えることにより、失態を糊塗して、責任を逃れようとする心の弱さがある。この行き着く先は、失敗や敗北から学ぶことなく、同じ失敗や敗北が繰り返されることになる。太平洋戦争を分析した『失敗の本質』によれば、まさに、旧軍は負け戦の責任者を追求することなく、温存することにより、同じ失敗を繰り返したのであり、現在政府や企業で起こる失態の度に設立される「第三者委員会」でも同じ轍を踏み続けている。

このような「心の弱さ」を基調にした現在の日本社会がとても心配である。「敗戦」や「降伏」を「終戦」と言い換えることなく、「敗戦」は「敗戦」とはっきり認め、「何故敗れたのか」をしっかり分析・反省して、「二度と負ける戦いはしない」「もしまた戦争をしなければならないときには、必ず勝てるようにする」という条件を整えることが、国の自衛上不可欠であることは云うまでもない。訳の分からない法律を作ることによって、自衛を確保することはできない。ビスマルクの言とされる「愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があるが、失敗の経験を目を開いて見つめることができず、隠蔽して経験から学ぶこともできない社会は、愚者以下であり、自衛など、夢のまた夢の戯言でしかない。


8月15日は、「降伏記念日」または「敗戦記念日」と呼び、先達の愚かさを反省し、将来に備える日としよう。

2015/07/24

日経によるFT買収は、吉か凶か?

昨夜、日経が Pearson から FT グループを買うというニュースが流れた。

日経の狙いは何だろうか? FT誌の全世界の発行部数は日経の国内発行部数の約3分の1に過ぎないが、世界における影響力の大きさは比較にならない。これで、日経はFTという世界的ブランドを買ったことになるのだろうか?

今までもFT誌の論調はしばしば、日経とは異なったり対立したりして、日本政府や日本の企業制度に批判的な記事が少なくない。ここ数年の日本の主要マスコミのあり方や現在の論調からすると、このFTの独立性は恐らく許し難いものであり、遠からず編集方針の独立性は侵されるであろう。日本政府は許さないだろう(実際に、既に自民党は、FTを通じて自分達に都合の良い記事を世界に流せると期待している。http://tinyurl.com/oz7zwl9し、日経にはそれに対抗して編集方針の独立を守る気概も矜恃も期待できない。

これに関連して思い出すのは、1980年代に Murdock 氏が The Times 誌を買収した頃の英国の新聞界である。Murdock 氏が編集方針に横やりを入れるであろう事はほぼ明らかで(実際に、その後横やりを入れた)、The Times 誌が編集の独立性を失って「単なる保守系新聞」になり下がるであろうことは多くの人が予想した。そして、この期に Telegraph 誌から独立した人達が The Independent 誌を創立したのである。新しい The Independent 誌は、The Times 誌に嫌気をさした多くの優秀なスタッフを手に入れ、独立系新聞として黄金期を築いた(その後、経営不振に陥ったが)。

英米のジャーナリスト達はわが国のブン屋さん達のようにヘタレではないから、遠からず多くの優秀なスタッフはFT誌を去るであろう。私は、この時に、英字経済新聞界の再編成が起きると予想する。勿論、1980年代とは技術背景が異なるので、新しい英字経済誌は何らかの形でインターネット・ベイスとなるであろう。紙はもう使わないかも知れない。

最初の質問への私の答は、以下の通りである。
●FTにとって:凶(ブランドを毀損し、優秀なスタッフも失う)
●日経にとって:極く短期的には吉(日経の実力とは全く水準の異なる世界的なブランドを手に入れる)だが、中期的には?(FTのブランドは毀損され、損をするが、高い授業料を払って国際化を「経験」できればトントン、できなければ凶)
●Pearson にとって:大吉(Springer と日経を競わせて、事業ドメインが合わず経営状態が余り良くなかった FT をやっかい払いできた。その内に、The Economist(の半分)も売却?)
●Springer にとって:中長期的には小吉(短期的にはがっかりかも知れないが)
●世界の読者にとっては:?(FTの価値はなくなるが、新しい独立系経済メディアが立ち上がれば、大いに吉)

この記事は、ずっとここに置いておくので、数年後に私の予測がどうなっているか、是非再訪して戴きたい。私自身は、残念ながら、1970年代から親しんだピンクの新聞を読むことはなくなるであろう。

2015/06/27

日本の経営情報学は、応分の国際貢献をしているか?

以前に、経営情報学分野の国際会議に日本人参加者が少ないということを嘆いた。

現在、Japan Association for Information Systems(JPAIS、経営情報学分野では世界で最も重要な Association for Information Systems (AIS) の日本支部)と経営情報学会で、2018年に Pacific-Asia Conference on Information Systems (PACIS) を招致しようとしていて、その戦略を考えるための基礎資料として、日本人が経営情報学の国際会議にどの程度参加しているかを計量的に分析してみた。

対象は、経営情報学で最も重要な会議である、International Conference on Information Systems (ICIS) の2012 (Orlando)、2013 (Milan)、2014 (Auckland) の3年分の登録者リストからデイタを採った。これは、ICIS では世界を3地域に分割して、毎年各地域を順に廻って開催されるので、3年分を採ると、地域の片寄り(どうしても開催地の近くの参加者が増える)の効果を打ち消すことができるからである。登録者リストには、国籍(勤務地ではない)が出ているので、3年間を通して参加者のあった国について、会議当たりの平均を計算する。ICISの総参加者数は、毎回 1,200-1,400人位で、比較的安定している。

参加者(A)を決定するモデルとしては、3変数の単純なモデルを考えた。
1.そもそもの人口:P(大きい国からは、他の条件が同じならば、多数の参加者が期待できるだろう)
2.一人当たりのGDP:G/P(テーマがITの利活用であるので、豊かな国の方が興味もあり、参加者も相対的に多いであろう)

すると、A/P = ƒ(G/P) となるので、ƒが線型であれば、これは A = ƒ(G) とできる。つまり、参加者数はその国のGDPの関数となる。このモデルの妥当性を確認するために、上記で得られたデイタを当てはめて回帰分析してみよう。

全体の結果は下に提示しているが、以下を見取ることができる。
(1)このモデルの妥当性はかなり高く、全般的に参加者数の差はGDPの差によって7割程説明でき、参加者数はGDPによって説明できると99.9%以上の確度で信じられる。下に述べる事由により、もし日本を外して分析したら、GDPの説明力はもっと高くなると予想される。
(2)モデルから想定される理論値より参加者が多い国(下のグラフで赤線より上にある点)は、米国・ドイツ・香港・シンガポール・オーストラリア・ニュージーランド等であるが、総人口との比率で考えると、香港やシンガポール・ニュージーランドの「出超(赤線からの上方乖離)」が際立っている。
(3)逆に、モデルから想定される理論値よりも参加者が少ない国(下のグラフで赤線より下にある点)は、日本の他、ドイツや北欧を除く欧州諸国・中国・インド等である。しかし、中国やインドは発展段階も異なるし、そもそも人口が大きいので、人口との比率で考えると「入超(赤線からの下方乖離)」の水準は大きくない。G7等のメンバーである英国・フランス・イタリアと日本を比較すると、これらの国の人口は大体日本の半分であるから、「入超」の程度は余り大きく異ならないということもできる。しかし、アジア太平洋地域で見ると、日本は圧倒的に参加者が足りないということが見て取れる。理論値では、約100人参加せねばならないので、現状では90人程不足である。

ここで見ているのは、参加者だけで、実は発表数は見ていない(発表数のデイタを作るのが大変なため)。発表数で比較すると、日本の「入超」はずっと大きくなる。つまり、一言で云うと、「日本の経営情報学界は、十分な国際的貢献をしていない」。

さらに言えば、これは経営情報学に限ったことではなく、日本の多くの人文社会科学系の学界においても同様の傾向が見られるのである。このようなデイタも、最近文科省や財界から出てきている「大学における人文社会科学系学部の不要論(このテーマについては、近々別稿としたい)」に根拠を与えることになろうから、反発を覚える同僚も少なくないだろう。しかし、現状の改革には、まず現状を正確に認識することが不可欠である。経営情報学会とJPAISでは、PACIS 2018 招致をテコにこの状態を大幅に改善して、まずは国際貢献の均衡化を目指そうとしている。