2015/06/27

日本の経営情報学は、応分の国際貢献をしているか?

以前に、経営情報学分野の国際会議に日本人参加者が少ないということを嘆いた。

現在、Japan Association for Information Systems(JPAIS、経営情報学分野では世界で最も重要な Association for Information Systems (AIS) の日本支部)と経営情報学会で、2018年に Pacific-Asia Conference on Information Systems (PACIS) を招致しようとしていて、その戦略を考えるための基礎資料として、日本人が経営情報学の国際会議にどの程度参加しているかを計量的に分析してみた。

対象は、経営情報学で最も重要な会議である、International Conference on Information Systems (ICIS) の2012 (Orlando)、2013 (Milan)、2014 (Auckland) の3年分の登録者リストからデイタを採った。これは、ICIS では世界を3地域に分割して、毎年各地域を順に廻って開催されるので、3年分を採ると、地域の片寄り(どうしても開催地の近くの参加者が増える)の効果を打ち消すことができるからである。登録者リストには、国籍(勤務地ではない)が出ているので、3年間を通して参加者のあった国について、会議当たりの平均を計算する。ICISの総参加者数は、毎回 1,200-1,400人位で、比較的安定している。

参加者(A)を決定するモデルとしては、3変数の単純なモデルを考えた。
1.そもそもの人口:P(大きい国からは、他の条件が同じならば、多数の参加者が期待できるだろう)
2.一人当たりのGDP:G/P(テーマがITの利活用であるので、豊かな国の方が興味もあり、参加者も相対的に多いであろう)

すると、A/P = ƒ(G/P) となるので、ƒが線型であれば、これは A = ƒ(G) とできる。つまり、参加者数はその国のGDPの関数となる。このモデルの妥当性を確認するために、上記で得られたデイタを当てはめて回帰分析してみよう。

全体の結果は下に提示しているが、以下を見取ることができる。
(1)このモデルの妥当性はかなり高く、全般的に参加者数の差はGDPの差によって7割程説明でき、参加者数はGDPによって説明できると99.9%以上の確度で信じられる。下に述べる事由により、もし日本を外して分析したら、GDPの説明力はもっと高くなると予想される。
(2)モデルから想定される理論値より参加者が多い国(下のグラフで赤線より上にある点)は、米国・ドイツ・香港・シンガポール・オーストラリア・ニュージーランド等であるが、総人口との比率で考えると、香港やシンガポール・ニュージーランドの「出超(赤線からの上方乖離)」が際立っている。
(3)逆に、モデルから想定される理論値よりも参加者が少ない国(下のグラフで赤線より下にある点)は、日本の他、ドイツや北欧を除く欧州諸国・中国・インド等である。しかし、中国やインドは発展段階も異なるし、そもそも人口が大きいので、人口との比率で考えると「入超(赤線からの下方乖離)」の水準は大きくない。G7等のメンバーである英国・フランス・イタリアと日本を比較すると、これらの国の人口は大体日本の半分であるから、「入超」の程度は余り大きく異ならないということもできる。しかし、アジア太平洋地域で見ると、日本は圧倒的に参加者が足りないということが見て取れる。理論値では、約100人参加せねばならないので、現状では90人程不足である。

ここで見ているのは、参加者だけで、実は発表数は見ていない(発表数のデイタを作るのが大変なため)。発表数で比較すると、日本の「入超」はずっと大きくなる。つまり、一言で云うと、「日本の経営情報学界は、十分な国際的貢献をしていない」。

さらに言えば、これは経営情報学に限ったことではなく、日本の多くの人文社会科学系の学界においても同様の傾向が見られるのである。このようなデイタも、最近文科省や財界から出てきている「大学における人文社会科学系学部の不要論(このテーマについては、近々別稿としたい)」に根拠を与えることになろうから、反発を覚える同僚も少なくないだろう。しかし、現状の改革には、まず現状を正確に認識することが不可欠である。経営情報学会とJPAISでは、PACIS 2018 招致をテコにこの状態を大幅に改善して、まずは国際貢献の均衡化を目指そうとしている。







2015/06/19

【書評】『メンバーの才能を開花させる技法』

Wiseman, Liz and Greg McKeon (2010), Multipliers, HarperCollins
関美和・訳、メンバーの才能を開花させる技法、2015、海と月社

リーダーシップは、難しい。これだけ多くの図書やセミナーが氾濫していながら一向に減る傾向が見られないということは、(評者の教えるビジネススクールを始め)これらの処方の効果がまるで上がっていない、すなわち、リーダーシップに関する図書やセミナーや学校は限りなく無意味だという証拠に他ならない。このような状況を反映して『The End of Leadership*』なんて本迄ある。

* Kellerman, B. (2012) The End of Leadership. HarperBusiness
邦訳は、『ハーバード大学特別講義 リーダーシップが滅ぶ時代』だが、内容的には『リーダーシップ教育の終焉』が適切。

本書の原著は5年前に刊行され米国アマゾンの書評でも非常に好評だった、リーダーシップの良質なハウツー本だが、この度邦訳された。ポイントは、「多くのリーダーにとって、才能に溢れたメンバーを自由に集めることができるわけでなく、実際には、現有のメンバーから如何に多くの才知と努力を引き出して組織のために貢献して貰えるか、が成否の分かれ目になる」という認識である。著者らの調査によれば、人々は、Multiplier 型リーダーの下では、Diminisher 型リーダーの下に居るときに比べて、自ら持つ能力の2倍以上を発揮しているという。だとすると、増幅型リーダーは2倍の部下を持っているのと同じ事になるではないか! 

そこで、できるだけ才能のある人々を見つけて自分の組織に引きつけ、個々人の才能に応じて各人の限界まで能力を活用して貰うようにする。課題は設定だけして、(例え自分が解を知っていても)自分は引き下がり、解決法はメンバーに考えさせる。必要に応じてサポートはするものの、課題のオーナーシップはメンバーに渡して、責任も持たせる、等々、Multiplier 型リーダーになるには下準備と自制心が結構大変である。


本書は、実は、組織のヴィジョンやミッションは既にリーダーが自身で考え抜いていて、それを実行する戦略やその実施に組織メンバーの能力をフルに活用しようとする段階のノウハウ集なのである(その意味では人心操作に近づいている)。だから、本書の教えが実際に効果を発揮するかどうかは、ビジョンや目的についての熟考やメンバー各人の能力の棚卸など、リーダーが事前にどれだけ下準備をしておくかに掛かっている。これは、良い学校教師がする念入りな授業の準備と同様で、つまるところ、リーダーシップとは(もともと各人が持っている才能を開花させるという意味での)教育でもあるのだ。

2015/06/07

Apple at its Zenith?

Apple is a really great firm.  I have recently hit an article to show how foresightful the firm was.  In this article, we can see what Apple was conceiving in 80s: laptops, tablets, and even a wrist telephone!

http://www.theverge.com/2014/5/28/5757414/apple-prototype-tablets-phones-laptops-from-the-80s-photos

As a revolutionarily innovative and great company, the firm's market cap is over $740B at the time of writing this.

http://finance.yahoo.com/q?s=AAPL

There are pundits who predict beyond $750B, such as this.

http://www.forbes.com/sites/laurengensler/2015/02/19/5-reasons-why-apples-750-billion-market-cap-could-get-even-bigger/

But I cannot help feeling unease.

To me, Apple's strength as a business has been its relentless focus.  Despite its size, the firm's product line has been extremely narrow (just, a few models of gadgets and an ecosystem of software and contents).  They have been selling their goods/services without regional adjustments (except for currency and tax-related adjustment) as marketing or strategic gurus would preach.  This focus has had a huge impact on their learning curve, the economies of scale, operational simplicity (from manufacturing, logistics, shops, services to call centres) and the brand sharpness.

Now they seem to be diversifying into other (albeit related) products, such as watch and car.  This may well be the reflection of mounting pressure from the capital market for growth.

But I cannot help feeling that Apple is to throw away its core strength, the focus.

If you are to grow further without losing focus, the only logical way seems to split the firm into two (or more) focused firms.  If you try to keep all new products and services lines under one umbrella, you would become like, you know what, a Japanese electric/electronic mediocre or Korean chaebol.

I have been a Mac user since 1987 with a Macintosh Plus.  I was literally shocked and thrilled with its futuristic ideas, such as its file handling and network capabilities, which were (and still are) by far more advanced than its competitors in the market.  I have been a great fan of Apple since then.

So, I cannot help feeling very sad …