2015/01/11

企業の首都圏集中と鉄道網

 「わが国は大企業が首都に集中しすぎている」という意見があるが、現状では国際的に見て必ずしもそうは言えない。むしろ、これから集中化が進むのである。

日本の大企業を代表する日経225の企業リストを見ると、本社が首都圏にあるものは7-8割程度であろうか。これに対して、英国の大企業を代表するFT100やフランスの大企業を代表するCAC40のリストを見ると、その大半が首都に所在する。一方、アメリカやドイツの大企業の集中度はかなり低い(アメリカでは多数の大企業の登記上の本社はデラウェア州にあるが、これは税法上の理由によるものであり、実質的な本社機能はあちらこちらにある)。 この違いは、もちろん経済の現状だけではなく、それぞれの国の歴史的な事情も反映している。イギリスやフランスは昔から一極集中型の政治経済であったし、アメリカやドイツは今でも連邦制である(ドイツは1871年のプロイセンによる統一以前は、小国の集まりであった)。 日本は、信長・秀吉によって統一されている。

この事情は、各国の鉄道網を見てみると、目で確認することができる。アメリカやドイツは、網状の鉄道ネットワークが発達しているのに対して、イギリスやフランスは首都を中心に放射状に鉄道網が発達している。イギリスやフランスでは、隣の町に移動するときにも、鉄道で直接向かうよりは、一旦ロンドンやパリに出たほうが速いことが多い。これらの国では地方から地方へ移動するのに、自動車やコウチ(バス)が多用される所以である。 ところが日本の鉄道網は、東京や大阪等の拠点都市をハブとする hub and spokes 型のネットワークとなっている。 つまり、鉄道網の形が「アメリカやドイツは分散型、イギリスやフランスは集中型、日本はそれらの中間型という企業配置」と、見事に相関しているのである。

この事実から予想される事は、今後わが国で整備新幹線などによって鉄道網が整備されていくと、企業の首都集中化はますます進むだろうということである。EUでも見られているように、資本や労働の移動障壁が低くなると、域内は均一化するのではなく、逆に域内の差異が大きくなっていく(「経済学101」で習った、リカードの「比較優位性」である)。つまり、経済の首都集中化と地方の経済的な過疎化が一層進むのである。これにより、地方ではその地に特化した産業以外の一般的な産業はなくなっていく。一方、首都圏ではそこに居ることの経済的価値が高まると共に生活コストも高くなっていくために、引退した人などには住みにくくなっていくと思われる。したがって「首都圏は経済活動、地方は居住や観光およびその地に特化した産業」を主とするという棲み分けになっていくであろう。イケダハヤト氏もブログ(http://www.ikedahayato.com)に高知の住みやすさを書いているが、地方都市では、居住や観光を支えるためのサービス産業等も発達するであろうし、コンパクトで生活費も安いことにより、退職後の老人などにも住みやすくなると思われる。もし本気で地方に全般的な産業を復興させて自己完結経済圏に戻したいのならば、交通や移動を不便にして日本を分断するしかない。

2015/01/04

「創造的人材の育成」について

過日、野生のシジュウカラの集団において知識が伝承され、また、個体は集団の知識に同調(文化を伝承するという実験結果を紹介した。

実験では、森の中に右からも左からも開けられるえさ箱を複数置いておくと、シジュウカラは、集団毎に右または左からえさ箱を開けるやり方を共有する(「文化」と呼ばれる)が、このことは他の野生動物の集団でも観察されていて、これ自体は新しい知見ではない。驚くべきは、例えば、右からえさ箱を開ける集団にいる個体を、左からえさ箱を開ける集団に入れると、この個体は新しい集団に同調して、左からえさ箱を開けるという行動を採るようになる、ということである。つまり、シジュウカラは集団内で同調行動を採っているのである。

集団の生存戦略として考えると、少数の探索的(創造的)シジュウカラの個体がえさ箱を調べて開け方を発見するのだが、集団内の多数の個体は、改めて新しいえさ箱の開け方を探索することなく、他の個体により発見された開け方を模倣して、このやり方が集団内で共有される。もし、集団が同調者(模倣者)のみで構成されていれば、えさ箱を開ける方法は発見されないままとなる。他方、もし集団が探索的(創造的)個体ばかりで構成されていれて他の個体から学ぶことがなければ、各個体がそれぞれ探索行為を通じてえさ箱の開け方を発見することになる。この二つの極端なケイスはいずれも集団生存のためには効率的でなく、一定割合の個体が探索的(創造的)で新しいやり方を発見し、多数の個体がこれら探索的(創造的)個体の発見を模倣することが、集団の生存戦略としては効率的である。恐らく、進化過程を通じて、集団において最適な探索的(創造的)個体の比率を持つ種が、生き残ってきたと考えられる。


世の中は、ビジネスでも教育でも「創造的人材を育成する」というテーマが流行であるが、人類が地球でこれだけ生存し、多種を支配してきたことを考えると、人類における探索的(創造的)人材の現在の自然の比率は、恐らく生存戦略として効率的なのだと考えられる。勿論、各産業や社会の場面に応じて、最適な探索的(創造的)人材の比率は異なるであろう。とても、探索的(創造的)な外科医に手術をして貰いたいと思う患者は多くないであろうし、区役所の窓口の担当者がとても探索的(創造的)で、案件毎に異なる処理をされては困るであろう。とても探索的(創造的)なパイロットが操縦する飛行機は、事故も多いであろう。また、グーグルであればより大きな探索的(創造的)人材比率が最適であろうし、安定的な業界であればより小さな探索的(創造的)人材比率が最適であろう。いずれにしろ、万が一、国民の全員はおろか、大多数が創造的人材であるような社会になれば、社会全体の効率が極めて悪くなり、社会そのものの生存に関わるであろう。The Economist 誌も「創造性を強調する職場は問題が多い」としているし、J.G. March も exploration と exploitation とのバランスを強調したが、無闇に創造的人材を育成することが、社会・組織・集団の発展と生存に寄与するという保証は全くないのである。