2013/02/01

報道の自由度と新聞・雑誌への信頼度

最近フェイスブックのタイムラインを見ていたら、「報道の自由度の国際比較」をシェアしている友人と、「新聞・雑誌への信頼度の国際比較」をシェアしている友人がいた。

  (1)報道の自由度
  (2)メディアに対する信頼度

そこで、これらを組み合わせてみたらどうなるか、考えてみた。

人々が合理的であれば、「報道の自由度が高い国では新聞・雑誌への信頼度が高い(幸せな社会)が、自由度が低い国では新聞・雑誌は信頼されない(現実主義)であろう」と予測した。

さて、組み合わせた結果が、表である。資料(2)には24カ国のデイタが出ているので、資料(1)からこれらの24カ国を拾い、自由度も信頼度も共に2分割(12カ国ずつ)となるように4つのセルに分けたものである。それぞれのデイタは、スコアではなく順序を使って分類する順序統計で、国名の後の前の数字が報道の自由度の国際比較順位、後ろの数字が新聞・雑誌への信頼度の国際比較順位である。






事前予測は見事に外れ、大半の国(24カ国中20カ国)は、「報道の自由度は高いのにもかかわらず、新聞・雑誌への信頼は低い(シニック)」または「報道の自由度は低いにもかかわらず、人々は新聞・雑誌を信頼している(メディア過信)」のどちらかである。

なぜ、こうなるのか?

もしかしたら第3の変数(例えば、経済や社会)が、両変数に影響を与えているかも知れないが、この表だけを見て考えられる一つの仮説は、

メディアに対する信頼度が低い社会では、メディアは何とか信頼を得たいと、報道の自由のために戦ってこれを獲得しようとするが、メディアの信頼度の高い国では、特に戦う必要もないので、報道の自由が失われるままになる(あるいは最初から存在しない)

ということではないであろうか。表の右上セルにある国は、自由度の高い報道でも眉に唾をつけて吟味するメディアリテラシーの高い社会、左下セルの(日本を含む)国は、自由度の低い報道を鵜呑みにする危うい社会と言えよう。支配者や広告の大スポンサーにとっては、大衆を操作しやすい社会ということで、(2)の調査が電通によって為されていることも意味深ではある。


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