2013/12/20

経営情報学の国際化

先週末から、ICIS (International Conference on Information Systems, 経営情報学分野で世界で一番重要な国際会議)を含む一連の会議に出るために、ミラノに来ている。

ICIS や WISE (Workshop on Information Systems and Economics) のような国際会議でいつも感じるのだが、普段会わない海外と本国の韓国人同士や中国人同士が会議を機会に交流している場面は、日本人としては見ていて羨ましい。これは、そもそも
1.海外の大学で活躍している日本人が少ない
2.国際会議に参加する日本人が少ない
という決定的な条件から、今の処日本人には出来ないことである。

今回の ICIS でも、Ancillary Meeting として、JPAIS(AISの日本支部)とKrAIS(AISの韓国支部)の集会が、水曜日の午後に同じ建物の同じ階の真反対の場所で開催されたのだが、日本からは1ストリームで約20人参加、韓国からは4ストリームで約70人参加であった。勿論、日本の人口が韓国の2倍以上であることを考えると、少なくとも経営情報学においては、韓国の方が7~8倍国際化が進んでいるということができよう。

同時に、韓国や中国の若い研究者が溌剌としていて、非常に明るく見えるのは、若い研究者におとなしめの人が多い日本と大きな違いである。同じような儒教文化の社会だから、年功序列だけが理由ではないだろう。経済の勢いの差が原因だとしたら、1980年代の日本人研究者は溌剌としていなければならなかったのだが、あれほど溌剌としていただろうか。日本の国際化の現場では、いつも考えさせられることである。

2013/12/08

経営学は人びとを幸福にできるか?

本日の朝日新聞の書評欄に、宇沢弘文氏と『経済学は人びとを幸福にできるか』のことが紹介されていた。
  宇沢弘文 | 経済学は人びとを幸福にできるか

衝撃を受けた。

経済学について、こういう発想は初めて見た訳ではないが、何故か今日は、突然頭の中に「経営学は人びとを幸福にできるか?」という疑問が湧き、半日このことを考え続けた。戦略論は、マーケティングは、組織論は、人びとを幸福にできるか?

これは、一筋縄ではいかなさそうな挑戦だ。早速、「Philosophy of Management」と Google で引いてみると英国に同名の学術雑誌があることが分かったが、ウェブでこの雑誌の紹介を見てみると、ちょっと上掲課題とは異なるようだ。
       Philosophy of Management
また、よくあるような、功成り名を遂げた経営者による「経営哲学」とも違う。

私なりのアプロウチでは、先ずは「経営学にとって実現に貢献できるのは、どのような形の人びとの幸福か」を仮に定義してみて、「それぞれのディシプリン(領域、科目のこと)が、各々どのようにこの幸福に貢献しうるか、幸福をぶち壊すのか」を考察していく、ということだろうか。


たった今は3日後に迫った海外学会出張の準備で忙しいが、帰国後に時間をみて哲学者のTと議論してみよう。旅行中に、少しは考えを進められるかも知れないし。

2013/02/03

【書評】『ワーク・シフト』

Gratton, L. (2011), The Shift, Collins
池村千秋:訳(2012)『ワーク・シフト』プレジデント社


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もし、あなたの十代の子供達が「将来、ジャーナリストになりたい」「僕は、医者」と言ったら、親としてはどうアドバイスすべきだろうか?

これが、本書の元となったプロジェクトのきっかけだそうだ。著者は、英タイムズ紙の「世界のトップビジネス思想家15人」の一人に選ばれるなど、多くの賞を受けている、ロンドンビジネススクール教授(組織行動論)。企業・官庁スポンサーのコンソーシアムを組んで、2025年の仕事はどうなっているであろうか、と研究したまとめである。

まず、「技術」「グローバル化」「人口動態」「社会」「エネルギー・環境」の五分野にわたって、2025年の仕事のあり方に影響を与えると考えられる二十三のトレンド(たとえば、「都市化が進行する」「エネルギー価格が上昇する」など)が提示される。そして、 これらのトレンドを組み合わせることにより、2025年に世界のいろいろの場所にいるいろいろの職業の人々(例えば、ムンバイにいる脳脳外科医や、チッタゴンにいる米国人のソーシャルワーカーなど)について、  1990年頃の状況を振り返り、トレンドを現在から2025年に外挿して、彼らの仕事のやり方や生活の様子、何を考え、何が心配で、何が楽しみか、などの状況を一貫性のある絵として描いてみせる(多くの端布からパターンを生み出すパッチワークキルトに例えている)。これらの状況記述には、現在のトレンドがそのまま続いたときの悲観的なシナリオ5本と、現在のトレンドに対する積極的な介入に成功したときの楽観的シナリオ3本が用意され、最後に、筆者が有効と考える3つの対応法(「ジェネラリストから、連続スペシャリストへ」「孤独な競争から、協力して起こすイノベーションへ」「大量消費から、情熱を傾けられる経験へ」、筆者をこれらを「シフト」と呼ぶ)が説明される。

本書は読み物として刺激的にできているが、実は、環境について重要なトレンドを自分なりに加えたり、これに基づいて自分なりの悲観的なシナリオと楽観的なシナリオを作って、今何をすべきか考えるという、シナリオ計画法のワークブックとして使うときに、その真価を発揮する(著者もこれを奨めている)。ノウトを開いて、あなたとあなたにとって大切な人々の将来の仕事について、今後五年間に何をすべきか考えてみよう。

[本稿は、週間『ダイヤモンド』誌、2012年9月10日号、書林探索への投稿を基にしている]

2013/02/01

報道の自由度と新聞・雑誌への信頼度

最近フェイスブックのタイムラインを見ていたら、「報道の自由度の国際比較」をシェアしている友人と、「新聞・雑誌への信頼度の国際比較」をシェアしている友人がいた。

  (1)報道の自由度
  (2)メディアに対する信頼度

そこで、これらを組み合わせてみたらどうなるか、考えてみた。

人々が合理的であれば、「報道の自由度が高い国では新聞・雑誌への信頼度が高い(幸せな社会)が、自由度が低い国では新聞・雑誌は信頼されない(現実主義)であろう」と予測した。

さて、組み合わせた結果が、表である。資料(2)には24カ国のデイタが出ているので、資料(1)からこれらの24カ国を拾い、自由度も信頼度も共に2分割(12カ国ずつ)となるように4つのセルに分けたものである。それぞれのデイタは、スコアではなく順序を使って分類する順序統計で、国名の後の前の数字が報道の自由度の国際比較順位、後ろの数字が新聞・雑誌への信頼度の国際比較順位である。






事前予測は見事に外れ、大半の国(24カ国中20カ国)は、「報道の自由度は高いのにもかかわらず、新聞・雑誌への信頼は低い(シニック)」または「報道の自由度は低いにもかかわらず、人々は新聞・雑誌を信頼している(メディア過信)」のどちらかである。

なぜ、こうなるのか?

もしかしたら第3の変数(例えば、経済や社会)が、両変数に影響を与えているかも知れないが、この表だけを見て考えられる一つの仮説は、

メディアに対する信頼度が低い社会では、メディアは何とか信頼を得たいと、報道の自由のために戦ってこれを獲得しようとするが、メディアの信頼度の高い国では、特に戦う必要もないので、報道の自由が失われるままになる(あるいは最初から存在しない)

ということではないであろうか。表の右上セルにある国は、自由度の高い報道でも眉に唾をつけて吟味するメディアリテラシーの高い社会、左下セルの(日本を含む)国は、自由度の低い報道を鵜呑みにする危うい社会と言えよう。支配者や広告の大スポンサーにとっては、大衆を操作しやすい社会ということで、(2)の調査が電通によって為されていることも意味深ではある。


2013/01/21

アウトソーシングの終焉?

来月、米国ノースカロライナでコンピュータ工場が操業を始める。工場主はレノボ。
「製造業は、アウトソーシングやオフショアリングから、先進国に戻りつつある」という The Economist 誌の特集記事。生産基地を中国より更に労賃の安い地域に求めているようでは、世の中から半周遅れとなることは否めない。

Special report: Outsourcing and offshoring