I have just sent out a review of the book for "Diamond Weekly" (in Japanese) which is expected to appear in a fortnight. What is curious is that a sentence, "This is what Perrow (one of the major organisation scholars, author of Normal Accidents) meant when he argued against building nuclear power plants", after another, "... we should avoid building systems that are inherently dangerous in the first place" (pp.201-202), is totally missing in its Japanese translation! Although there has been censorship, both overt and covert, in Japan about the nuclear accident topics, has (self-)censorship arrived at this stage yet (Japanese translation was published on 19th April 2012)?
金融感染についての『エコノミスト』誌の記事。面白いのは、景気がよいときには国同士の感染は余りないのだが、危機に際してヴォラティリティが増加すると、もともとある国同士の関連が大きな効果を及ぼすことになるという点である。これは、ダヴィドウ著『つながりすぎた世界』による、複雑化した社会やシステムの過剰結合状態が大危機の種を醸成するという主張を、巧く補完している。
『週刊ダイヤモンド』誌のための同書(訳本)の書評を仕上げて送ったばかりであるが、多分2週間後位に掲載されるであろう。しかし、この訳書が興味深いのは、文中、「そもそも危険なシステムを作るべきでない」という処で「ペロウ(重要な組織学者の一人で『Normal Accidents』という良く引用される本の著者)が、原発建設に反対したのはこの意味からである」という一文が、さり気なくすっぽり落ちていることである。原発を巡る言論統制もしくは自己規制も、ついにここまできているのだろうか(訳本は、本年4月19日発行)?
『週刊ダイヤモンド』誌のための同書(訳本)の書評を仕上げて送ったばかりであるが、多分2週間後位に掲載されるであろう。しかし、この訳書が興味深いのは、文中、「そもそも危険なシステムを作るべきでない」という処で「ペロウ(重要な組織学者の一人で『Normal Accidents』という良く引用される本の著者)が、原発建設に反対したのはこの意味からである」という一文が、さり気なくすっぽり落ちていることである。原発を巡る言論統制もしくは自己規制も、ついにここまできているのだろうか(訳本は、本年4月19日発行)?