2015/08/15

「降伏受諾記念日」によせて

8月15日を、何故「終戦記念日」と呼ばねばならないのだろう?
事実に照らしてみれば、
1945年8月14日:ポツダム宣言受諾決定(終戦の詔書)
8月15日:玉音放送
9月2日:降伏文書調印(ミズーリ号)
1951年9月8日:講和条約調印(サンフランシスコ)
1952年4月28日:講和条約発効

であるから、どうみても「終戦」は1952年4月28日であり、1945年8月15日は単に「降伏受諾」を国民に告知した日でしかない。したがって、8月15日を記念日とするならば、「降伏受諾記念日」あるいは「敗戦確認記念日」である。

日本には、退却を「転進」と言い換えるように、失敗や敗北などの単純な事実を言い換えることにより、失態を糊塗して、責任を逃れようとする心の弱さがある。この行き着く先は、失敗や敗北から学ぶことなく、同じ失敗や敗北が繰り返されることになる。太平洋戦争を分析した『失敗の本質』によれば、まさに、旧軍は負け戦の責任者を追求することなく、温存することにより、同じ失敗を繰り返したのであり、現在政府や企業で起こる失態の度に設立される「第三者委員会」でも同じ轍を踏み続けている。

このような「心の弱さ」を基調にした現在の日本社会がとても心配である。「敗戦」や「降伏」を「終戦」と言い換えることなく、「敗戦」は「敗戦」とはっきり認め、「何故敗れたのか」をしっかり分析・反省して、「二度と負ける戦いはしない」「もしまた戦争をしなければならないときには、必ず勝てるようにする」という条件を整えることが、国の自衛上不可欠であることは云うまでもない。訳の分からない法律を作ることによって、自衛を確保することはできない。ビスマルクの言とされる「愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があるが、失敗の経験を目を開いて見つめることができず、隠蔽して経験から学ぶこともできない社会は、愚者以下であり、自衛など、夢のまた夢の戯言でしかない。


8月15日は、「降伏記念日」または「敗戦記念日」と呼び、先達の愚かさを反省し、将来に備える日としよう。